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クメール遺跡とは・・・
クメール王朝(別名
アンコール王朝)は現在の東南アジア広域でおよそ
4世紀にわたって繁栄した王国で、現在のカンボジアの元となった帝国です。
これより以前にあったチェンラ王国の流れを受け継ぐ帝国で、その勢力が最大化したときは、現在のタイ東北部、ラオス、およびヴェトナムのそれぞれの一部をも領有していたと考えられています。
アンコール遺跡をはじめとする、一連のクメール遺跡などはこの王朝による建造物で、主に11世紀から12世紀にかけて、アンコールワット・アンコール・トム(ノーコー・トム)の様式で建造されています。宗教的には、13世紀に上座部仏教がインドシナを掌握するまで、ヒンドゥー教や大乗仏教の混じった宗教が信仰されていました。
それぞれの神殿の遺跡壁面にはその名残が鮮明に刻み込まれています。
クメール遺跡はタイ全土に182ヶ所あり、その内の大部分がイサーンに在ると言われていわれています。内訳はコラートに26ヶ所、ブリラムに61ヶ所、スリンに33ヶ所、シーサケットに12ヶ所で、イサーン4県だけで132ヶ所に上ります。
タイ語では各遺跡の作り方(建物様式)に3種類の総称が付けられています。
@ プラサート
十字型の間取りをした大きな神殿(サンスクリット語の建築用語のプラサーダ
prasdda
が語源)
A
プラーン
チェディー chedi(仏塔)の全体または一部となるクメール様式の塔を意味する
B クー
内部に出入りの出来る空洞のある小さめのチェディー(仏塔)
1.
ピマーイ遺跡(ナコンラチャシマー)
タイ
クメール遺跡の中でも最も有名なピマーイ遺跡は古代のピマーイ市内のほぼ中心に位置し、幅655メートル、長さ1,033メートルの長方形に作られています。
建造したのは
アンコールワットを造営したには
スーリアバルマン2世で、この遺跡は赤い砂岩の壁で二重に囲まれクメール遺跡としては珍しく正面がやや南東を向いているのは、カンボジアのアンコールに向けるためと言われています。
非常に貴重なクメール建築の遺跡であることから、国際的な史跡として保護され、壮大な修復と修繕がなされました。
遺跡の外側の壁と通路は、東西南北の4つの主要なポイントをゴプラ(ヒンドゥー教寺院の山門)によって区切られています。
2. パノム・ルン(ブリラム)
タイ
イサ―ンのクメ―ル遺跡といえばピマ―イかパノム・ルンかといわれるくらい有名な遺跡です。ピマ―イが平地で町中の遺跡なのに対して、パノム・ルンは山の頂に建てられているのが特徴で、遺跡は山の斜面を利用して参道をつくり、最上部に祠堂を回廊で囲む形で建立されています。ほとんどの建物は12世紀のもので壁面はおなじみのヒンドゥ―の神々やラ―マ―ヤナ物語のレリ―フで埋められています。
東正面のまぐさ石には、横たわるヴィシュヌ像が彫られていますが、これは修復以前の1960年代、一度何者かによって盗まれました。その後アメリカにあるのがわかり、国をあげての返還運動の末、元の場所に戻されたという曰く付きのものである。山の頂からはイサ―ンの田園風景と遠くカンボジアのジャングルが眺められます。
3. ムアン・タム(ブリラム)
パノム・ルンの南東8kmの平地に建てられているのがムアンタム遺跡です。11世紀の建造で、前列3基
後列2基のレンガの祠堂を2重の回廊で囲む形式で建てられました。しかし、前列中央の祠堂は崩壊していていますが、破風やまぐさ石には数々の貴重な彫り物があるレリ―フが残されています。最近大規模な修復工事が行われ、小綺麗な公園化されました
4. カオプラヴィハーン遺跡 (シーサケット)
ラオスにも程近いタイ・カンボジア国境の山岳地ダンレック山脈に建造されているのが
カオプラヴィハーン(カンボジア名) 別名 プレアヴィヘール (Preah
vihear)と呼ばれています。自然豊かで雄大な景観に抱かれた山頂の傾斜地に、長さ900mの山岳テラス型クメール遺跡が横たわっています。9世紀から300年かけて建立された「山上の聖なる寺院」と名付けられたこの「カオプラヴィーハン寺院」は、アンコールワットに匹敵する唯一のクメール遺跡と評されながら、国境紛争や見境のない地雷の存在が人々を遠ざけて「幻の大遺跡」とも称され、世界的な遺跡観光ブームのなかで、ずっと置き去りにされてきました。
カンボジア平原からは447メートル上空に見上げるタイ領土の山中に立地するため、寺院にはタイ側からしか出入り出来ないようになっています。周辺一帯は過去クメール王朝の支配下にあり、その複雑な地形的立地ゆえに、寺院の帰属を巡って両国は長らく小競り合いを繰り返してきましたが、1962年ハーグ国際裁判所は寺院の建つ敷地内をカンボジア領、小川越しの寺院入り口はタイ領と定めました。
遺跡本堂の建つ断崖絶壁の頂から遠くラオスまで見渡せる立地はまさに天然の要塞であり、1975年からのカンボジア内戦時に、ポルポトはこの台地に軍事的要塞を構えました。ここはポルポト派最後の地としても知られており、戦火は紛争終結の日まで続き、この間双方の攻防用に無数の地雷が埋められました。和平後も両国が緊張するたびごとに、遺跡ゲートの閉鎖を繰り返し、歴史の流れに翻弄されて「山上の聖なる寺院」は皮肉にも国境紛争の象徴的な存在となっています。
現在、世界遺産登録を目指してカンボジア・タイ両国に日本も加わり、地雷除去など周辺整備に力を入れています。
5. ロッブリ遺跡
サムヨートは
13世紀(11世紀のヒンドゥー教寺院の建立説あり)に
ジャヤバルマン7世治世化に建造さられた大乗仏教寺院といわれています。
マハタートは
3基の祠堂はラテライトで造られ回廊でつながれています。その後上座仏教寺院に変更されたマハタートは12世紀のクメール様式の寺院だったが、その後増改築が繰り返されたので、スコータイ様式やアユタヤ様式などが混在して今の形となりました。ロッブリ駅近くの広い敷地にある規模の大きな遺跡です。 |